仕事でも日常でも必要性ゼロなのに英語を習得してみて気づいたこと(1)
いま仕事でも日常でも一切英語なんて必要ない。
なのに、話せて聞けてTOEIC®は簡単というところまで身につけてみた。
やっているあいだ、自分はアホなんじゃないかと不安だった。
使いもしないのに英語を学習する人というのは、趣味人か、スキル命の資格ヲタか、単にヒマ人みたい思われそうだ。
いや、僕の場合さらにひどい。
「留学した人たちに対するコンプレックス」を解消したい、という、とんでもないゆがんだ理由で留学した。
僕が彼らを、うらやましいと内心思っていた理由は2つだ。
1.単純に外国で学生するのが、いかにも華やかでうらやましすぎる。僕には漠然とした異国への憧れがあるのだ。
2.英語できていいな。(まあスペイン語でも中国語でも外国語なら何でもいい)。
英語は、ワーキングホリデー体験者も語学学校組も、ろくに喋れる人がいない。それに対し、海外の大学に行った人はみんな話せることを、ずっと不思議に思っていた。
きっとなにか秘密があるのだろう。勝手にそう考えていた。
※今にしてみれば、当たり前だ。まず入学するためにはスピーキングを鍛え、TOEFL®/IELTS®の必要スコアを突破する。つまり「話せるようになった人が行く場所」だったのだ。
だから、ビジネススクールなんて金の無駄だとバカにしていたのに、自分もTOEFLibt®やったあと入学した。(残念ながらMBAではない。逆に、学生ビザ発給目当ての人が行く残念な学校でもない)
いや、”全然役に立たない”ことはないのだけれど、”リアルな仕事での学び”には断然負ける。営業リーダーだった僕にそのことがわからないはずがない。
ビジネスを学ぶと見せかけて、ほんとうは英語のため。人生の後悔を消すためなのだ、と割り切った。
その結果は。
ビジネススクールの知識と学位は無駄か?は別のテーマにしたい(無駄に近いと予告しておく)。
ここでは「英語学習」と「留学体験(学位でなく)」は意味があったか?だけに焦点を絞る。
1.キャリアの観点からみて役に立つか
Q. 英語をやったことは役に立ったか?
・ある境界に達するまでは、客観的に見ても無駄だった。役立ち度▲
そりゃそうだ。
・ある境界に達すると、わずかに武器になった。役立ち度★
TOEIC®スコアはハッタリにはなった。海外への問合せや日本出張の通訳は数回やった。
・さらにある境界に達すると、そこそこ武器になる。役立ち度★★★
外資に申し込む自信がつくが、語学でなく実績が問題になる。
まあリンクトインのような仕事SNSが使えて視野は広がる
Q. 留学の体験(学位ではなく体験)は役に立ったか?
・日本企業サマは、学位はともかく体験など評価しないだろう。役立ち度 ×
現地の企業や、旅行業界に行くなら別。また孫正義のような起業家なら学位より体験からきっかけを得るだろう。
2.人生の観点からみて役に立つか
Q.英語をやって役に立ったか?
・ある境界に達するまでは、まだ人生の役に立たない。役立ち度▲
日本にいたらやっぱり使わないうえ、やめると忘れていく。海外旅行の時ぐらいか
・ある境界に達すると、海外にも行かず、外国の友人がゼロだったとしても、英語が役に立つようになる。 役立ち度★★★★
これが重要。後述
Q.留学の体験(学位ではなく体験)は役に立つか?
・小バカにしていたくせに、人生変わった。 役立ち度 ∞
このうち 1.キャリアで役に立ったかどうか、にはまったく意外性がなくて面白くない。 2.人生全般で役に立つのか、に焦点をあてたい。
ある境界に達すると、日本にいても英語を活用できるようになる。
あるところから、趣味もスポーツもマンガもニュースも、海外のサイトを(勉強ではなく)休憩したいときの娯楽として習慣的に楽しめるようになってくる。
このころには気分が良くて、小説やビジネス書も日記も英語だったりする。だから、仕事や家庭でまったく使わなくても、語彙が伸びる。
スポーツでも、練習が足りていない下手な人より、うまいヤツに限ってよく練習するのと同じだ。
それが好き→たくさん練習する→うまくなる→ますます好き→たくさん練習する…以下好循環
※現実には途中で踊り場やケガがあることは承知だ。
ちなみに、これがTOEIC®700程度で英語の本を買ってしまうと、1ページあたり5,6回辞書を引く羽目になり挫折する。それは娯楽じゃなくて勉強だ。
これが境界線の前と後の差だ。それまで
英語を読んだり聞いたりする苦労 ≧ 英語コンテンツをみることは楽しいな
であったのが、
英語を読んだり聞いたりする苦労 < 英語コンテンツをみることは楽しいな
と逆転し、
しんどい仕事のあいまに眺めるネットサーフィンが英語サイトになったりする。自動サイクルに乗る。
この構図になる瞬間、それがティッピング・ポイント。期待に沿えずハッキリした線はなく、ぼんやりと越えたのかな~? くらいだが。。
ここまで来たらトク。海外コンテンツを鑑賞し、個人で冒険旅行、外国の友人とのやりとり、周囲のリスペクトなど、上の式の右辺がさらに膨張していく。
その境界はどこか?
たぶん、語彙1万4000語。
なぜ14,000なのか。
テーマが変わってしまうので、以下のページで説明する。
留学やガリ勉で、下りのエスカレーターを一気に駆け上がってラクになるのもよし、コツコツと長期間かけて育てるのもよし。
境界を超えると、日本にいるときさえ、オートマチックで人生の役に立ってくる。
たとえば、スポーツ。
格闘技が好きな人はUFC、野球が好きならMLB、バスケが好きならNBA、ボクシング、サッカー、などなど。
芸能・ゴシップや、洋画や海外ドラマが好きな人にとっても、海外コンテンツのほうが楽しいはず。僕は無関心だが。。。
スポーツバイク、クルマのレビュー、動物、なんだっていい。
僕のように、デジタルがジェットが好きならさらに恵まれている。Google I/O やら Mobile World Congress などのイベントや、日本で売っていない最先端Androidなどを嬉しそうにレビューする記事や映像は、僕にとっては本当に楽しい。
サイトにおけるコメントのやりとりも面白い。参加したっていい。日本の2chに限らず、海外でも荒れるときは荒れるけど。
上記のなかには日本語サイトだけで間に合うものもあるが、なかには海外の情報を知ったことで、マ○リックスのプラグが外れたネオのように覚醒する人もいることだろう。
ニュースでは、まずどのメディアでも、中国などに比べて圧倒的に日本に関する報道が少ないことに気づく。…まあそんなことはいいんだが、下手するとBBCやCNNのような世界的なメディアが堂々と、日本に関する誤解をたれ流しているときさえある。たとえば、記者が善良な一市民にインタビューするつもりで、なにを間違ったか左翼活動家みたいな一般から程遠い御仁のお話を聞きに行っちゃったりとか。
Yahooニュースで「世界が称賛する日本」みたいな記事だけを読んで喜んでばかりいてはダメだとわかる。
挙げるときりがないのでやめる。
もちろんこれらは、まだ”境界”に達していない人が、語彙を増やすためにも大変役に立つ。
でも忙しい人が習慣化するには根気もいる。たとえばスポーツ記事やコラムには動作の表現や、比喩的な表現など、語彙が多い。
レビュー記事も、多彩な形容詞と、ポップな熟語がいっぱい出てくる。
読みなれるうちに、自分が書くときも、ダサい文では投稿したくなくなってくる。
…というわけで、TOEIC®でいえば700点とかだと、少し難しいなと感じると思う。きっとまだ”勉強半分”の感覚だと思うので、”頑張る”必要がある。
続く。